第7週 オーストラリアと太平洋戦争


DVD : Road to Tokyo (ABC) より



日豪における捕虜収容所、日系人強制収容所
1. 日本軍捕虜収容所

22,000人が日本軍捕虜となり、その1/3以上が死亡した。

例えば、捕虜の生存率は以下のとおり。

捕虜数
死亡者数
生存率

アンボン収容所

豪軍 528人

405人

23%

ザンダカン収容所

英軍 700人

豪軍 1800人

2494人

0.24%。生存したのは脱走した6名のみ。

泰緬鉄道

連合軍 65,000人

豪軍  9500人

12,000人

2646人

80%

72%



したがって、BC級戦犯裁判(通常の戦争犯罪:各国で軍事法廷で裁判が行われた)では、捕虜虐待に焦点があてられた。オーストラリアは294件の裁判を行い、949人が有罪判決を受け、153人が死刑判決を受けた。


テレビドラマ 'Changi'  オーストラリアABC放送 
2001年放送、6回シリーズ、ABC/UK Televisionからビデオとしてリリースされている。
チャンギ捕虜収容所で仲間となった6人のオーストラリア兵の姿を、それぞれの収容所での体験、今日でも癒えない傷跡、戦前の思い出を織り交ぜて描いている。収容所での苛酷な生活を、陽気に軽口をたたきながら、機知と勇気とメイトシップで苦難を乗り越える、たくましいオーストラリア兵の姿が描かれており、アンザック精神の太平洋戦争捕虜収容所バージョンのようでもある。したがって、日本軍の残虐さなどはこのシリーズの主題ではないが。そこに描かれる日本軍や日本兵の姿は決して好感の持てるものではない。実際に収容所を体験した元捕虜からは、収容所はもっと苛酷なもので、事実をわい曲しているという批判もある。



2. カウラ捕虜収容所(ニューサウスウェールズ州中部)
第二次大戦中、約4000人の捕虜が収容され、うち日本兵は1100人以上。
1944年8月5日未明、多数の日本人兵捕虜が集団脱走を図り、234人の死者と108人の重傷者を出した。378人が収容所から脱走し、うち334人は事件後9日以内に捕えられた。
現在は、カウラに日本人戦没者霊園があり、日本庭園、文化センターが建設されている。

中野不二男『カウラの突撃ラッパ』(文芸春秋、1984)は、日本ノンフィクション賞を受賞した作品です。

ビデオ:
BS ドキュメンタリー 「カウラの大脱走」 NHK 2005年 



日系人収容所
最高時で4,301人 (オーストラリア周辺の英・蘭・仏領地域で抑留された、台湾籍を含む日本人の3,160人も含まれる)
            → ほとんどは本国へ強制送還 戦後オーストラリアでの在留許可141人
 独身男性:SA州内陸部 ラブデー収容所
 家族、女性:Vic州 タツラ収容所
 真珠貝産業関係者:NSW州 ヘイ収容所



3. 戦犯裁判
3-1. 極東国際軍事裁判(東京裁判):A級戦犯(重大戦争犯罪人)
連合国司令官マッカーサーは、9ヶ国(米、英、ソ連、中華民国、仏、加、蘭、豪、NZ)から指名された者を極東国際軍事裁判所の裁判官に任命した。裁判長はオーストラリアのウェッブ判事。後にインド、フィリピンの裁判官も任命された。
28人が起訴され、7人が絞首刑、16人が無期禁固刑、2人が有期禁固刑、2人が公判中に病死、1人は精神障害のため免訴された。天皇、および皇族は訴追されず。

BC級戦犯裁判(通常の戦争犯罪:各国で軍事法廷での裁判)

対日交戦国別の軍事裁判

国名
被告者総数
うち死刑

アメリカ

1453人

143人

イギリス

978人

223人

オーストラリア

949人

153人

オランダ

1038人

236人

中国

883人

149人

フランス

230人

63人

フィリピン

169人

17人

(出所:『中日新聞』1994年12月4日)

オーストラリアは294件の裁判を行い、949人が有罪判決を受け、153人が死刑判決を受けた。豪兵捕虜の虐待が厳しく追及された。アンボンオーストラリア裁判では、14名が死刑判決をうけた。法廷は途中でモロタイに移った。



3-2. 映画 「アンボンで何が裁かれたか」スティーブン・ウォレス監督1990年
この作品は、アンボン裁判の検察官を務めたジョン・ウィリアムスが保管している、膨大な裁判記録をもとにして脚本が書かれた。描かれた事件・人物ともに写実とはいえないが、法廷記録にある事件や人物を合成して作られており、そのモデルは存在する。映画の製作および脚本の執筆には、ジョン・ウィリアムスの息子ブライアン・ウィリアムスがかかわっている。

アンボンで実際には何がおきたのか
オーストラリア映画『アンボンで何が裁かれたか』(Blood Oath)1990年は、泰郁彦『昭和史の謎を追う』下巻、文芸春秋社、1993年所収の「第31章 BC級戦犯たちの落日ーアンボンで何が裁かれたか」(pp.151-167)で詳しく検証されています。以下、泰氏の論文を要約します。

ラハ事件
日本軍のラハ攻略の激戦の後、日本軍の報告ではオーストラリア兵約200名(後の報告では250名)が捕虜となった。多くの捕虜はアンボンに送られたが、よりわけられたオーストラリア兵に対して銃剣の刺殺による集団処刑が行われた。後に、数珠つなぎになった50体ほどの遺体が発掘されたが、全貌の解明に届かなかった。豪側は、ラハの死者を300人ほどとしているが、戦死者と処刑者の内訳はつきとめられなかった。泰氏は、戦死者は20名程度で、あとは処刑されたのではないかと推測している。ラハ事件では、最高責任者はすでに戦死しており、1人が死刑、2人が禁固20年の有罪判決を受けた。

アンボン収容所の捕虜虐待
アンボン攻略直後は、収容所は管理がゆるやかで、労働も課せられなかった。監督者が交替した1942年6月から待遇が悪化し、暴行、処刑などの「捕虜いじめ」が頻発した。特に1944年以降は補給が絶たれ、日本兵も慢性的飢餓にさらされて、捕虜の待遇もさらに悪化した。アンボン収容所での捕虜の生存率は、23%であった。飛行士処刑も含め、起訴された者は100人を超えたが、死刑13名、有期刑43名の結末となった。

捕虜飛行士の処刑
映画のストーリーのモデルとなった飛行士の処刑事件では、3名が死刑となった。映画のストーリーのように片山たちが「命令者」と証言した大佐は有期刑にとどまり、実行者であった士官の片山、高橋と兵曹長の3名に極刑が科された。

原住民殺害など
戦犯裁判では、各国とも原住民の被害に対しては冷淡で、厳しく追及された例は少ない。

映画:合成されたモデル像
登場人物

モデルとなった人物

田中大尉

無実を信じて自首し、銃殺された主人公。パイロットの処刑も軍事法廷が開かれたと信じ、上司の命令は絶対であったと主張した。クリスチャン。

片山日出男中尉

 

高橋豊治少尉

暗号長として勤務し、飛行士処刑の罪でモロタイ島法廷で死刑判決をうけ、銃殺された。妻にあてた長大な日記を残す。クリスチャン。

片山より4才若いクリスチャンで、飛行士の処刑に加わり、同じ日に銃殺された。主人公の田中の性格は、高橋に近いといわれる。

池内捕虜収容所長

残酷な収容所長で、捕虜をいじめた。割腹自殺をした。

池内正清通訳官

英語の通訳官で、残酷な男ではなかったと証言する人もいる。ただし捕虜の印象は悪かった。実際は銃殺刑となった。

クーパー検事

高橋は無罪となり、池内だけでも有罪にもちこむよう努力した。彼の意に反して田中は死刑判決をうける。

ジョン・ウィリアムス検察官

彼が保管している膨大な裁判記録をもとに、この映画の脚本が書かれた。

高橋中将

捕虜虐殺の命令を下したが、戦後米軍が利用するため、無罪とされた。

4人の人物を合成

ラハ事件の最高責任者畠山耕一郎少将は戦死し、すでに内地に転勤していた畠山国登大尉は死刑判決をうけながら、有期刑へと減刑された。ただし、モデルとなった4人のいずれも、米軍が政治目的で守ろうとした形跡はない。おそらく、昭和天皇の立場を象徴していると思われる。

軍曹の一人

田中に好意をよせ、銃殺の日に目隠しの布を渡した人物。

ドン・ボール軍曹

片山に目隠しを渡した、実在の人物。


この映画にみる戦犯裁判
クーパー検事の言に象徴されるように、オーストラリアは昭和天皇の訴追には積極的であったが、米検事団におしきられていた。極東国際軍事裁判(A級戦犯裁判)の裁判長ウェッブ判事はオーストラリア人。映画の中の、クーパー検事と米法務官とのやりとりは、米検事団が主導した天皇免責への不満と、戦後の米中心の国際的な「正義」に対しての批判とも受け取ることができる。さらに、責任者が極刑を免れ、上官の命令に従った(おそらく誠実な)実行者が裁かれた理不尽を、鋭く批判している。


以下の作品と比較してみてもおもしろいでしょう。

『最後の弾丸』 図書館に配架されています。
NHK / Nine Network 日豪合作 ハイビジョン映画 1995年
1996年ハイビジョン国際映像祭 ドラマ部門 入賞作品
太平洋戦争下、最後に残った日本軍狙撃兵とオーストラリア兵のジャングルの中での緊迫した死闘を描く。オーストラリア兵は最後に残った弾丸で日本兵を狙わず、地雷を踏みそうになる少女を助けるため、威嚇射撃を行う。50年後2人の兵は再開し、堅い握手をかわす。
終戦50周年を迎えた日豪の緊密な関係も描こうとする象徴的映画のように思えます。





参考文献
泰郁彦『昭和史の謎を追う』下巻、文芸春秋社、1993年。
田中 利幸『知られざる戦争犯罪ー日本軍はオーストラリア人に何をしたか』大月書店、1993年。